まなべ塾を通して思ったことや、感じたことを思いのままに書いています。
受験シーズンがやっと終わりましたが、受験生をお持ちのご家庭ではいかがでしたでしょうか?
まなべ塾では、おかげ様で新居浜西高校をはじめとする希望校に全員が合格できました。
また、愛媛大学などの国公立大学に3人合格できました。
大学は受験生が4人しかいなかったのに驚異的な結果でした。
そんな結果を聞いて、さぞかし、まなべ塾では鬼のような形相の教師が、ピンと張り詰めた空気の中で授業をしているとお考えかと思いますが・・・。
実際は全く逆で、授業は明るくにぎやかです。
また、クリスマス会や料理作りなどの活動もあります。
料理作りなどの活動は勉強と関係ないので無駄なのでは、とお考えのご父兄もいらっしゃるかと思います。
ところが、実はこれがとても良い結果に結びついています。
料理作りの場合、レシピの説明は英語で行いますので、生きた英語を学ぶことができます。
一緒に力を合わせることにより、仲間との連帯感が生まれますし、気分転換により活力が生まれます。
くじけそうになっても、良い仲間がいれば楽しく乗り切ることができます。
そんな訳で、まなべ塾では授業外の活動をこれからも続けて行くつもりです。
ある優秀な生徒がいました。
とても努力家でいつも問題集を持ち歩き、ほんのわずかな時間も惜しみ、努力していていました。
生真面目な性格で、一流大学を目指し猛烈な勉強の毎日でした。
当然、気分転換をする時間も余裕もなく状態でした。
大学入試が近くなるにつれ伸び悩み、結果は思わしくありませんでした。
人間の頭脳は同じ作業を続けると、疲れにより能率が下がってしまいます。
気分転換をはかることにより、さらに能率を上げる、良い結果を出すことができます。
まなべ塾では生徒たちが楽しく学ぶことを優先しています。
そのため、授業外の活動も今後続けて行く方針です。
県立の高校入試がやっと終りました。
さぞかし、受験生の皆さんは緊張したことと思います。
努力は嘘はつきませんので、頑張った受験生は結果が楽しみと思います。
まなべ塾では高校受験の前日、当日まで受験指導に追われて、やっと一息ついたといったところです。
塾には受験日の1ヶ月前からは休みにし、自宅学習させる所もあると聞いて驚きました。
それは、少し無責任じゃないかなあという気もしました。
合格したくて必死の受験生に対して、責任は自分で取りなさい、結果が悪くても塾は関係ないからと言っているのと同じです。
確実に合格できると思われる生徒でも、不安でどうしようもないのが受験なのですから。
最後のさいごまで面倒を見てあげるのが、塾としての誠意だと思うのですが・・・。
さて、受験生から「高校入試なんかなければ良いのに」といった言葉が出てきました。
確かにその通りで、あまり重圧に逃げ出したくなるような気持ちになると思います。
「自分の人生を、自分の力で切り開く、初めての素晴らしい経験だよ」と言うと納得していました。
知り合いに、とても優秀な子がいました。
彼は高校から一流大学まで、全部、推薦で進学し、全く受験の経験がありませんでした。
何の苦労もなく、大学も優秀な成績で卒業し、就職難の時代に一流企業からも早々と内定をもらい、晴れて社会人にました。
非の打ちどころのない彼に対して、将来は社長にまで順調に登りつめるのではと、ご両親や友達は期待したのですが・・・
しかし、彼は就職して一年もたたないうちに、会社を辞職し引きこもりになってしまいました。
原因は、慣れない仕事と上司からの叱責が原因でした。
私達にとって、何でそれくらいでといったところですが・・・。
彼にとっては初めての、ストレスであり挫折だったのでしょう。
ころんだ経験のない子は、ころぶとひどい怪我をするという話があります。
少なくとも、彼に受験の重圧に耐えた経験があれば、職場での問題は何なく乗り切れたのではと思います。
逞しく人生を生き抜ける力を付けるのが、教育の最終目的だと考えています。
高校受験はそのための素晴らしい経験です。
頑張った受験生には全員合格していただきたいと願っています。
塾について皆さんはどのようにお考えでしょうか。
有名高校への進学数を誇り、優秀な生徒が集まっている?進学塾が一番と考える人がいるかもしれません。
また、個人で教えてくれる、家庭教師が一番と考える人もいるかもしれません。
面倒見の良い個人塾が一番と考える人もいるかもしれません。
答えは、当たらずと雖(いえど)も遠からずです。
進学塾について
能力と向上心のあるお子さんであれば、良い結果が出せる可能性が高いと言えます。
友達と競い合えるのは素敵ですが、細かな指導は期待できないかもしれません。
成績の良い生徒が集まっていると、お子さんの成績も伸びるように錯覚しますが、必ずしもそうとは言えません。
優秀な生徒が沢山いるわけですから、進学実績は良くて当たり前ですので参考までにお考え下さい。
進学塾は、ある程度の能力があり、進んで努力できるお子さん向けであると思います。
学校の授業だけで必死のお子さん向けではないかもしれません。
家庭教師について
個人の能力に合った指導が受けられるので理想的です。
良い教師に当たると大きな成果が期待できます。
ただし、プロの教師のみという条件付きです。
大学生や高校生などの学生が教師をする場合は、あまり期待は禁物です。
友達感覚で指導してもらえるのはありがたいですが・・・。
数学や英語を教えるのには、長年の経験とノウハウが必要です。
教師が立派な学校?に通っていれば、その教師の学校に入学できるのではと錯覚しますが、現実はそんなに甘いものではありません。
入試を突破した程度では、生徒にわかりやすく教えるのは難しいと思います。
教師も割の良いバイト程度にしか考えていない人が多いように思います。
何年も教えてもらったのに全く結果が出なかった。
そんな失敗例を山ほど知っています。
ただし、本格的なプロの教師であれば、学力を伸ばすためのスキルやノウハウがありますのでお勧めできます。
私事ですが、出来の良くない姪っ子が、家庭教師について成績が伸び、見事に希望高校に入学しました。
宿題をしていないと体罰をする怖い先生だったので、怯えながら勉強したと言っていました。(笑)
その反動で、高校では伸びなかったですが。(大笑)
個人塾について
少人数なので、学校で理解できなかったところを個別に教えてもらえるのは大きいです。
進学塾のような華々しさはありませんが、いちばん塾らしい塾と言えます。
能力が高い生徒が集まるとは限りませんので、進学実績で評価するのは間違いです。
能力に劣る生徒は手間がかかる割に、成果に結びつきにくいのが現状です。
丁寧に見てもらえる個人塾であれば、家庭教師と同様な結果を期待できます。
進学塾、家庭教師、個人塾いずれも、当たり外れがありますので、評判を聞いてから判断されるのが大切です。
そして、何よりも大切なのは、お子さんと塾との相性です。
学習する楽しさを感じるようになれば、成果は自ずと、ついて来ます。
成果が出なかった場合、貴重な時間は戻ってきませんので、お子さんの能力や適正、相性などを考慮し、塾選びは慎重にする必要があります。
必ずしも、高い月謝を払えば成果が出るというわけではありませんのでご注意下さい。
一番大切な事は、自分で学ぶという意欲です。
塾に全く通わなくても学年でトップレベルを維持している人は沢山います。
自分で学ぶ意欲と能力のある生徒には、塾は必要ないのかもしれませんね。
同級生にこんな子がいました。
父親は住友のエリート社員でした。
お母さんはとても教育熱心な方で、良い点が取れるようになると評判の塾(※現職教師が開いてた!その教師 が試験を作っているのだから良い点が取れるのは当然ですが…)に通よわせていました。
塾のない日は家庭教師(※担任や教師が雇われていました!)が指導していました。
塾が2つに家庭教師が2人ですから教育費はどのくらいになったか・・・。
では、それだけの環境であれば、その子はさぞかし優秀と思いますが、実際は、まったく逆で底辺あたりをウロウロするレベルでした。
当然、市内の公立高校には入学できませんでした。
能力の問題もあったと思いますが、親の思い違いもあったと思います。
子供に教育費と時間をかければ成果が上がると。
ところが、成果は全く出ず成績は散々でした。
原因は、遊びたいのを我慢していた欲求不満と、親の期待が大きすぎたため、重圧に耐えられなかったためと思います。
どんなに能力があっても、自分から進んで努力する気持ちがない限り、どんなに両親が犠牲を払っても無駄なのです。
子供が親のご機嫌を伺い、勉強をするフリをしていたのでは、絶対に成果を出すことは不可能です。
こういった場合、指導するのは学習の内容より、心のケアが先決なのですが・・・。
私は良い教師と出会えた事で、人生が大きく変わったという人を何人も知っています。
彼は運悪く、そんな教育者に出会えなかったのかと思います。
教育者とは学習の指導だけでなく、子供に
・学習の楽しさを教える
・誇りと自信をつける
・自主性を持たせる
・どんな事にも意欲的になれるようする
・悩みを聞き適切な指導をする
・生涯の良き友であり教師となる
・生きる力をつけてあげる
などなど。書ききれないほどあります。
子供に夢のある未来をプレゼントしてあげるのが、教育者の役目と思うのです。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?
(※今は禁止されていますが、当時は教師のサイドビジネスは黙認されていたようです。)
韓国のサムソン電子は皆さんご存知のように、押しも押されもしない世界最大の総合家電・電子部品メーカーです。
売上は2007年度で何と21兆円! 日本の家電メーカーが束になってもかなわず従業員数19万人の巨大企業です。
サムソンでは、こんな商品を作ろうとトップが号令をかけると、何が何でも、技術を盗んできても作るんだそうです。
日本だと「この技術は我が社にはないので作れません」と部下が言うと、それじゃ仕方ないなあ〜、となってしまいます。
サムソンでは上司の命令には絶対に「No」は言えないのです。
まるで軍隊そのものがサムソンの体質なんだそうです。
そんな調子ですので、ここ数年であっという間に日本が追い抜かれてしまいました。
同じ東洋人ですので、能力に差があるとは思えません。やはり、心の持ち方、つまり根性の差が出てしまったようです。
韓国は国民皆兵制があり、健康な男子は全員2年ほどの服務義務があります。
そのためか、韓国で会った若者は覇気があり、生きる力がみなぎっていました。
皆が汗水たらして働き、勉強や働きもせず、家に引きこもっているニートはいません。
それに対し、日本ではニートが80万人もいます。
何でこんなになってしまったのでしょうか?
日本の小学校で過当な競争はいけないと、運動会の徒競走で順位を作らないなんて話がありましたが、思わず、エッ?と思ってしまいます。
1着になれなかった生徒の気持ちを察してなんでしょうが、悔しさをバネに頑張る根性を植えつけるが教育だと思うのですが・・・。
そんな、ぬるま湯の中で過保護に育った子供が、社会で立派な仕事ができるのでしょうか。家庭を持って家族を養っていけるのでしょうか。
日本でも国民皆兵制を取り入れたら、多少はましになるのかもしれないですね。(笑)
人間が幸せで生きてゆくためには、多少の根性も大切です。
どんな状況にあっても、生き抜くための力を養い、育てるのが教育だと思うのですが
皆さんはどのようにお考えですか?
近所に昨年、パキスタンの家族が引っ越してきました。
ご両親と子供8人!のご家族です。
お父さんは40才で、立派なひげ髭を生やし、見るからに威厳があります。
パキスタンといえばイスラム国家ですので、女性は頭から頭巾をかぶっています。
それを見て近所の人たちはいぶかしそうな顔をして遠巻きに見ています。
ご両親と話してみると、礼儀正しく、家族愛し、隣人を愛する素晴らしい人たちであるとわかりました。
学齢期の子供が5人ほどいるのですが、いっこうに学校に行く気配がありません。
いつも、近くの神社で暇つぶしをしています。
親は子供たちに学校に通わせたがっていましたので、教育委員会にその話をすると了解してもらえました。
でも、何ヶ月か経っても音沙汰なしなで、学校に問い合わせると、中学の校長が受け入れられないの一転パリでした。
理由を聞くと、何も言ってくれません。
教育法では外国の学齢期の子供や家族が入学を望めば、それを受け入れるとあります。
せっかく日本に来て、日本の恩恵を受けられないとは、何て理不尽なのでしょうか?
イスラム教といえば、テロのイメージがありますが、実際は全くそんな事はありません。
一度、我が家に遊びに来たのですが、子供たちは礼儀正しく、両親を敬い、遊んだ後はきちんと片付けをしたのは感心しました。
きちんとしつけられている素晴らしい子供たちでした。
イスラム国と言えば後進国のイメージがありますが、今の日本の親や子供たちが学ばなくてはならない事が沢山あるように思いました。
アメリカをはじめとするキリスト教国は受け入れるのに、イスラム教は受け入れないというのは、理解できない宗教に対する偏見ではないかと思うのですが?
教育とは、差別するものではないと思うのです。
新居浜の学校が受け入れてくれないため、子供たちの大半が間もなく、パキスタンに帰ってしまいます。
それを聞いて、学校長は良かったと言ったそうです。
学校長のお子さんが、そんな目に会ったらどうでしょうか?
なんだか悲しい気持ちになってしまいました。
昔、父親がバクチに手を出し、借金を重ねたため子供の父親がヤクザ組織に引っ張られるという事件がありました。
子供は隣に住んでいた女の子で(以下、Mちゃん)、小さい頃から仲良くしていた間柄でした。
Mちゃんは明るく元気の良い子でした。
その子が、中学三年の時にその事件が起こりました。
お母さんは愛想をつかして出て行ってしまいました。
Mちゃんは、突然、高校には行かないと言い出しました。
勉強する気分にはなない気持ちは良くわかるのですが、良くない連鎖を断ち切るためにも、ちゃんと高校には行くべきだと伝えました。
しかし、なかなか納得できないようでした。
また、お父さんがヤクザ組織になじめず逃げ出そうとしていたのに対し「男なら立派なヤクザを目指すべきだ」と言い出す始末。
その言葉を聞いた途端、思わず「立派なヤクザって何だ!」と大声が出てしまいました。
ヤクザ世界から足を洗おうとしているお父さんの勇気を伝えました。
彼女は涙を流しながら聞いていました。
入学してもお金がないと言うので、お金は何とかしてあげるからと励ましました。
無事、希望した高校に入学でき、足を洗ったお父さんと皆で喜んだのを思い出しました。
Mちゃんは今でも私達のことを、お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んでくれます。
年賀状も毎年欠かさず届きます。
愛媛が水不足の時は沢山の水を送ってくれました。
随分と会っていないですが、会えば昔の事を思い出し大いに盛り上がること間違いなしです。
子供には愛情を込めて伝えれば、必ず伝わるものだと信じています。
私は新居浜に生まれ高校までいたのですが、小学校から高校までの同窓会というものがほとんどありません。
奥さんは、毎年のように故郷の埼玉で小学校や中学校の同窓会があります。
奥さんの通った学校は、学校を卒業して教師になる人が1クラスで4人もいたりします。
子供達は教えてくれた先生のような、立派な人になりたいと思ったからと思います。
私は昭和42年(1967年)に新居浜市立北中学校を卒業したのですが、当時はデモシカ先生という名前で呼ばれていました。
先生にデモなろか、先生シカなれないといった、大学を卒業し一般企業に入れなかった、いわゆる落ちこぼれが先生になれた時代でした。
そのため先生の質が悪く、暴力やセクハラは茶飯事、酔っ払い運転するあっぱれな先生がいたり、今思い出すだけでもすごいと思います。(笑い)
信じられないですが、先生が授業中に韓国人の生徒を差別するなんて、今でも信じられません。
その先生が「お前らを見てるより、家で奥さんと仲良くしている方がいいんじゃ〜」を恥ずかしげもなく言っていたのを覚えています。
しょっちゅう授業は休むし、授業はやる気ないし、暴力はふるうし、まったくいいとこなしの男でした。
毎日のようにいやな思いをして学校に通ったのを覚えています。
親も当時は子供を人質に取られている弱みか、軍国主義の名残か、学校に対して不思議と文句を言わなかったようです。
今なら即クビ、くらいの男が何人もいたのですから、生徒たちもいいかげんウンザリします。
もちろん、心のある立派な先生もいましたが・・・。
ちなみに、同級生で先生になった話というのは、ほとんど聞かないです。
生徒にとって、教えてくれる人は、一生の先生なのです。
たとえ、ほんの半年でも関わったのであれば、その人は生徒にとってかけがえのない先生なのです。
教わった科目だけでなく、人間性も沢山学んでいます。
私は子供たちを教える場合、英数の科目だけでなく、人間として少しでも良いものを教えられたらと思っています。
通った学校が懐かしくて、先生や同級生に会いたくて、同窓会を開きたくなるような、それが教育だと思うのです。
新居浜の教育界は少し変わったような気はするのですが・・・。